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            仏教志塾とは関係ありません。

 

      法 句 経(北伝)

 

     超訳です!

     お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり  

     お釈迦さまが消えたりしています。

     意訳からは程遠いものですので、ご注意ください

言語品第八

 

言語品者 所以戒口 発説談論 當用道理

 

言語品とは 口を戒むる所以なり

発説談論にも 當に道理を用ふべし

 

げんごほんとは くちをいましむるゆえんなり

ほっせつだんろんにも まさにどうりをもちうべし

 

一度でも口から言葉は、言い直しがきかないということ、語る前によく考えよう。

議論するときも、談論するときも・・道理を外した(邪悪)論調に落ちないようにしなければ駄目だよね。仏道修行に励む者ならば猶更だよ!・・ということを知ろう。

 

悪言罵詈 橋陵蔑人 興起是行 疾怨滋生

 

悪言・罵詈し 橋陵もて人を蔑にす

是行を興起せば 疾怨滋生ず

 

あくごん・めりし きょうりょうもてひとをないがしろにす

このぎょうをこうきせば しつおんますますしょうず

 

悪口罵詈して、自分こそが高位だと驕り高ぶって、相手を蔑むようなことをしているならば、そこに宗教性のメリットなど生ずることなどない。発生するのは怨念ばかりだ!その結果が良いハズはずないよね。ましてや涅槃を求める者同志として、どうなのかね?

遜言順辞 尊敬於人 棄結忍悪 疾怨自滅

 

遜言辞に順い 人を尊敬し 

結を棄て 悪を忍べば 疾怨自ら滅す

 

そんごんじに したがい ひとをそんぎょうし

けつをすて あくをしのべば

しつおん おのづからめっす

 

言葉遣いの腰の低さを適度に保とう

誰にでも丁寧に接っすること、そして己に隠れる疚しい心を捨てるよう心がければ、悪しきサンスカーラの発生を制御した状態を保てる。

「サティアの力」つまり言葉の力で、無明の制御が出来るんだ。

 

Satyāgraha(サティヤーグラハ)とかSatyā(サティア)を覗いてみると言語品「サティアの力=言葉の力」が視やすくなるよ。

 

 

 

夫士之生 斧在口中 所以斬身 由其悪言

 

夫れ士の生るるや 斧の口中に在るがごとし
身を切る所以は 其の悪言に由る

 

それしのうまるるや おののくちゅうにあるがごとし
みをきるゆえんは そのあくごんによる

 

言葉を選ばずに、思うがままに喋りまくって・・

大失敗しちゃう人がいるよね。
そんな人はさぁ、口の中に斧を持っているようなもんだけどね~。
大失敗して、ひどい目に遭ってしまう理由は、

気配りのない、無意識に発する言葉に問題があるんだけどね、
どうやら気がつかない様子だね

やっぱり「言葉の力」が正しく使える「辨慧」が必須なんだぁ

 

 

 

諍為少利 如掩失財 従彼到諍 令意向悪

 

諍って少利を為すは 失財を掩ふが如く

彼に従って諍を致し 意をして悪に向はしむるなり

 

あらそってしょうりをなすは しつざいをおおうがごとく

かれにしたがって あらそいをいたし 

こころをして あくにむかはしむるなり

 

 

掩ふ』・・

掩壕(えんごう)=戦時下の「覆い隠してソレと見えない格納庫」など

僅かな利益の為に争うのはおバカなことなんだけど・・、

しかもコレ、争いに伴う損失(外面より内面)など

見ようともしない。

それこそ、内面の損失は心の眼でも

見えないように覆ってしまう。

そこまで隠してまでも争ってしまう。

まぁ相手も相手だが、両方が愚かさに気付かない訳で・・

コレ、始まっちゃうと・・止まらないんだ!

知明(有明)からは遠ざかり、無明方向へ突っ走るだけだね。

 

​2021.01.31

 

悪悪所譽 是二倶為悪 好以口儈鬪   是後皆無安

 

悪を誉め悪に誉めらるるは、是二倶に悪と為す。

好んで口を以って儈鬪せば、是れ後に皆安きこと無し。

あくをほめ あくにほめらるるは

このに ともにあくとなす

このんで くちをもってけとうせば

これのちに みなやすきことなし

悪行(悪人)を誉めたりさ、反対にそれらから誉め称えられてもさ

これって、おんなじ悪の枠だわ!

そんでもって、悪口(正しくない見識や心から作り出される言葉)で進んで行くのなら、良いこと無いよね。

八正道の正言が狂うと、正命(安楽)が得られない。

身口意の三業の「正しい口業」だね。

2023.04.09

 

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