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            仏教志塾とは関係ありません。

 

      法 句 経(北伝)

 

     超訳です!

     お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり  

     お釈迦さまが消えたりしています。

     意訳からは程遠いものですので、ご注意ください

 

 

誡愼品第5

誡愼品者 授與善道 禁制邪非 後無所悔也

 

誡愼品とは 善道を授與し 

邪非を禁制し 後に悔ゆる所無きなり

 

かいしんぼんとは ぜんどうをじゅよし

じゃひをきんぜいし

のちにくゆるところなきなり

 

誡愼品・・それは

仏弟子の目標に「人々が邪法で苦しまない様に・・お釈迦さまの教えに導く~」がある。

だけど、まさか不安定な状態で導こうなんて・・ないよね。

後悔するような心ならば導こうなんて・・考えてないよね!

そんなだったら・・止めてよね!

 

心迷うことなく素直に戒律を守っていこう!

高い意識を維持して彼岸を目指すんだよね!

そのうえで、導いてあげて!

人而常清 奉律至終 浄修善行 如是戒成

 

人にして常に清く 律を奉じて終りに至り 

善行を浄修せば 是の如くして戒は成ず

 

ひとにしてつねにきよく

りつをほうじて おわりにいたり

ぜんぎょうをじょうしゅうせば

かくのごとくして かいはじょうず

 

戒律をしっかり守って素直に学んで終焉を迎えるならば、

戒律の実践!達成!を成就した素晴らしい出家者だ!

 

今、そのスタートラインにいる!

これから先・・

厳しいよ!

梵行第一!

五戒もしんどいぞ!

250の約束を成就できるよう、しっかり頑張ろう。

慧人護戒 福致三寶 名聞得利 後上天樂

 

慧人は戒を護り 福を三寶に致し 

名聞、利を得ば 後上天の樂あり

 

えにんはかいをまもり

ふくをさんぼうにいたし

みょうもん りをえば

のち じょうてんにあり

 

知恵を智慧となした者は、戒をしっかり守ている。

という事は、求める福は仏法僧を尊ぶことであろう。

 

だもんだから、普段の生活は必然的に清く正しくなる。

という事は、良い評価が齎されたりして、利益は増す。

 

聖者の如く滅後もズーッと、称えら続けるよ。

常見法處 護戒為明 得成眞見 輩中吉祥

 

常に法處を見 護戒を明と為さば 

眞見を成ずることを得て 

輩中の吉祥たり

 

つねに ほっしょをみ ごかいをみょうとなさば

しんけんをじょうずることをえて

はいちゅうのきっしょう(ジョウ)たり

 

仏法を極めて阿羅漢果を得られるような御方は、菩提薩多のお手本だ!

煩悩を制御下にして覚者になれ!

そうなったら、素晴らしいことだし、そうなってよ。

みんな喜ぶ!

 

側面(裏面?)には『すばらしい僧団リーダー』の必要性。

立派な出家者になれ!仏法弘通に必要だし、教団維持にも必要だ!

 

三十二相経・・

釈尊が出家僧に向って、崇拝される人が持つ三十二相を語る。

①三十二相を持つ在家者は転輪王(王の中の大王)になって大地を纏める。

②そんな人が出家すれば煩悩を起す悪いサンスカーラをコントロールして覚者=ブッダになる。

・・って話だ。

釈尊自身の生誕時の占話に重なるね。

※『菩提薩埵四摂法』が参考になるよ。

 

持戒者安 令身無悩 夜臥恬淡 寤則常歎

 

戒を持つ者は安ければ

身をして悩み無からしめ

夜臥するも恬淡

寤むれば則ち常に歎びあり

 

かいをたもつものは やすければ

みをして なやみなからしめ

よるふすも てんたん

さむれば すなわち つねによろこびあり

 

戒律を完璧に守り行う方は、悩む事なんか一切ない。

夜寝ていても意の中に世俗の執着なんか興らない。

とうぜん梵行貫徹!

行っちゃダメ、思っちゃダメ、一人でもダメ!

そして清々しい朝を迎えて、充実した一日が始まる。

 

お国柄、カースト!社会の構成員を維持する為には

ダルマ(カースト構成の規制遵守)

アルタ(仕事維持継続、家族養育)

カーマ(性行為、カースト構成員を産む)

 

対して出家は、ダルマ・カルマを放棄する故、カーマは不要!

インドの出家はカーマの禁止が必須条項となった。⇒不淫戒

 

日本にはカースト制度や、それらしいもの?は無いので、出家者でも納税・選挙権などなどが有るよね。つまり国の構成員なのだ。だとすれば「カーマの禁止」が必須条項と成ることは無用と言えるだろう。ところでだが、各宗派はこの不淫戒について内外に向けての説明が不足しているかもね。

バラモン司祭師は所謂家業だ!カーストの上位にあり、血統主義的意味でカーマの制限があったりするらしいよね。

 

修戒布施 作福為福 従是適彼 常到安處

 

修戒布施は 福を作し福と為る

是に従って彼に適き 常に安處に到る

 

しゅうかいふせは ふくをなしふくとなる

これにしたがってかしこにゆき

つねにあんしょにいたる

 

福の作り方だけど!

戒律を守って修行する出家者の姿を見て・・

戒を守る!梵行を守る!と誓ったその言葉は実行されているだろうか?

どうやらこの修行者(尊者)は宣言した言葉を確実に守って実行しているから

誓った真実の言葉は清らかなパワーを持ってるようだね。

このような尊い方の福田(仏法に則った願いが叶う力の藏とか)は立派なんだよ。

偽物呪術師の詐欺行為じゃないんだ!

だから安心して布施ができるよね。

優婆塞や優婆夷(信者さん)が、この尊者に布施する行為は、明らかに福の素になるよね。

そうやって福を重ねていけば、全くそれが福と成るね。

さて修行者だけど、こうやって自分の福田を丹精して創り上げていけば、事を案ずることなく彼岸へ行けちゃうんだ。

そして、このような尊者に価値ある布施をして福を得た貴方には、尊者から「彼岸へ到ることができるよ」って約束が授けられるのだ。

※貧富の差はないよ。精舎一棟でも蝋燭一灯でも、清らかならば布施の価値は同じだよ。

※たった四つの誓いを何度も口にするけど、どうだろう。

何終為善 何善安止 何為人寶 何盗不取

 

何の終りかを善と為し

何の善にか安かに止まり

何をか人寶と為し

何の盗をか不取らざる

 

なんにおわりをかぜんとなし

なんのぜんにかやすらかにとどまり

なにおかにんおうとなし

なんのとうをかとらざる

 

善とは?

諸悪莫作・・もろもろの悪をなすことなかれ⇒悪因悪果
衆善奉行・・もろもろの善を行じたてまつれ⇒善因善果
自浄其意・・自らそのこころを浄めよ
是諸仏教・・これ諸仏の教えなり

 

悪い結果が来てもらっては困る訳ですよね。
だけど、良くないことを行えば、望まない結果が来る。

だから、諸悪莫作で悪因悪果と教わる!

なので、悪をやめましょう。・・と言うけれど!

 

そして私たちは、幸・福を求めている!
なので、衆善奉行により善因善果だと教わる!

つまり、良いサンスカーラを発し続けていこう!

善を為し続けられるように努力せよ!

 

っていうのが、お釈迦さまの教えですよね。

しかし、頑張っていても、或る時に元に戻っちゃうのが凡人。

そう、悪っちゃったら、それに気が付けばOK!

廃悪修善をやり続けよう!

制御ミスも、それに気が付けばOKだよね。

そもそも未熟なんだから・・

良いサンスカーラ発生のコントロールがへたっぴで構わないけど、涅槃へ向かう者の邪魔はしてはダメよ。
 

解脱の繰り返しだ!彼岸へ向かおう!

そのためにも六波羅蜜の善を積もう!

っで・・ギャーテー!~彼岸へ!行こう!・・だね。

こうやって涅槃へ向かう志を持つことが出来る。

戒終老安 戒善安止 慧為人寶 福盗不取

 

戒の終りは老いて安く 戒の善に安らかに止まる

慧を人寶と為し 福の盗をば取らず

 

かいのおわりは おいてやすく

かいのぜんに やすらかにとどまる

えをにんぽうとなし

ふくのとうをばとらず

 

戒と律をしっかり守って、日々を過ごして来てるでしょ?

ならば、お歳を召した頃に、穏やかな日々か続くんだ。

つまり、戒や律って、善・福の素であって、

身や意に、良質な居心地を齎すんだ!

これらを知っていることって・・すごい宝なのだ!

 

近所にいる穏やかな方から福を盗もうって考えても・・

地道に積み重ねてきた福は、盗み出すことが出来ないんだ。

 

貴方の老後・・

①幸福なお年寄りを眺めて悔しがる!

仏法を宝にして膳を積み福を得る!

 

比丘立戒 守攝諸根 食知自節 悟意令應

 

比丘は戒を立てて 守攝諸根を守攝し 

食うて自ら節を知り 悟りの意を應ぜしむ

 

びくは かいをたてて

しょこんを しゅしょうし

くうてみずから せつをしり

さとりの こころを おうぜしむ

 

目覚めた者は・・

比丘と成って戒律や修行者としての有りようを

清く正しく厳守する。

お食事についても、健康を考慮して大食いなんかしないんだ!

あらゆる欲望をコントロールして(滅して無にして)

意を鍛錬して如来に近づいていく。

以戒降心 守意正定 内学正観 無忘正智

 

戒を以て心を降し 意を守りて定を正しくし 

内に正観を学べば 正智を忘るること無し

 

かいをもってこころをくだし

こころをもってじょうをただしくし

うちにしょうかんをまなべば

しょうちをわするることなかれ

 

修行時間は長いから・・

なんとなくフラつくね。

戒律を守ることをしっかりと心に押えて

意を守って!⇒五欲に惑わされてはダメ!

つまり不放逸な状態を維持して!

日々精進して禅定!

こんな状態で正観を身につけよう!

そうなれば、智慧のもとになる知恵を忘れない状態でいられる。

 そうだけど、いろんなことがあるよね。

そうなっちゃっても、

智慧の素になる知恵まで忘れないように!

 

明哲守戒 内思正智 行道如應 自清除苦

 

明哲に戒を守り 内に正智を思えば

行道應ずるが如し 自から清く苦を除く

 

めいてつにかいをまもり

うちにしょうちをおもえば

ぎょうどうおうずるがごとく

おのずからきよくくをのぞく

 

常に・・身の周りの、あらゆる出来事を

正しい心で見定められる。

それは、ブレることなく戒律を守っているからだ。

なので、意は正しい智慧を保ち続けている!コレ当然なわけだ。

 

このようにして、進んで行くから・・

湧き出てくる苦悩は、事無く抑制される。

だから、如来の真理を得る事疑いなし・・

だね。

 

 

蠲除諸垢 盡慢勿生 終身求法 勿暫離聖

 

諸垢を蠲除し 慢を盡して生ぜしむること勿れ

終身法を求めて 暫くも聖を離るること勿れ

 

蠲除=除きとる (蠲々⇒ケジゲジ)

 

しょくをけんじょし まんをつくして

しゅうしんほうをもとめて 

しばらくもしょうをはなるゝことなかれ

 

煩悩から発生した垢を除きとって、

放逸状態に戻らない様に・・

自己中心的な心が発生しない様に・・

無明を制御できるように真理を求め続けよう。

この道は真実の道なのだから進むことを止めてはだめだ!

 

後に法華経の法師品で、薬王達との場面、後半で

私(如来)の代行者になって~

と語っているよ。

菩薩行(如来使)を継続して欲しいよ~!

法華経壽量品への前段だよ。

菩薩行

まだ救われていない者が、救われていないままに、

他の救われていない者を救う業(わざ)

 

これ・・救いの無限連鎖

 

戒定慧解 是當善惟 都巳離垢 無禍除有

 

戒を定と慧と解と 是を當に善く惟うべし

都て巳に垢を離れなば 禍無く有を除かん

 

かいと じょうと えと げと 

これまさに よくおもうべし

すべてすでにくを はなれなば

わざわいなく うをのぞかん

 

戒・定・慧・(戒律と禅定と知恵)の『解』

この相互の関係=『解』を理解できるよう常に関心を

持ち続ける必要があるんだ。

貴方が、この状態を維持しているならば・・

貴方の無明は滅されている(コントロール下に置いている)

状態なので・・

苦しみなどに苛まれることは無い。

 

でも、無明の炎は消されていても、薪(欲の種)は再発火

するから・・監視作業が必要ってことだね。

「戒律と禅定と知恵」の三学は出家者の必須科目だよ!

著解則度 餘不復生 越諸魔界 如日清明

 

著を解かば則も度る

餘は復生ぜず

諸の魔界を越ゆること

日の清明なるが如し

 

じゃくをとかば すなわち わたる

よはまた しょうぜず

もろもろのまかいをこゆること

ひのしょうみょうなるがごとし

 

仏法に目覚めない方々は、欲を追及して達成感を幸福としちゃう。

様々な欲に抑え込まれた人生だ!

だがね・・

これらの欲を払い落とせば彼岸に行けるようになる。

そうなれば、魔を招くことも無い。

つまりスキャンダルな事が興らない。

悪魔に出会う事も無いのだ!

お釈迦さまは、悪魔は自分の中から発生するって!

外道では悪魔は外からやってくるって!

お日様が輝かしいのと同じだよね。

 

外道≠ろくでも無い奴

外道=仏教以外

 

お釈迦さまが自受法楽した後に

5人の旧友を訪ねる事は有名な場面ですね。

この道中で、外道のアージーヴィカ教を信奉するウパカさんに

出会います。

彼は非常に苦しみ悩んでしましたが、お釈迦様のお話を聴く心が

発生せず、残念なことに救われませんでした。

 

阿時縳迦(教)=アージーヴィカ教では

「運命は予め定まっている」と言います。

命あるがままに=素っ裸で活きるなんて訳まである。

でも13世紀ころまで存続したらしい。

 

仏教も細々と13世紀ころまでインドに残っていた・・

狂惑自恣 已常外避 戒定慧行 求満勿離

 

狂惑自恣なるを 已に常に外に避く

戒定慧の行は 満を求めて離るること勿れ

 

おうわくじしなるを すでに つねに そとに さく

かいじょうえのぎょうは 

まんをもとめて はなるることなかれ

 

勝手気ままに、放逸で出鱈目な生活をして・・

誉められない日々の生き様を反省するばかり・・

そんな生活はやめよう!

 

落っこちない人生にしよう!

戒定慧を忘れずに、毎日励め!

常に生まれ変われ続けろ!

解脱を怠るな!

 

以上、忘れない様に

持戒清浄 心不自恣 正智已解 不覩邪部

 

持戒清浄にして 心に自ら恣ならざれば

正智已に解り 邪部を覩ず

 

じかいしょうじょうにして 

こころにみずからほしいままならざれば

しょうち すでに さとり

じゃぶをみず

 

放逸では無い状態!

そう不放逸な状態を維持しているならば

それは正見ということで・・

アブナイ誘惑は目にも心にも入らない!

ブレずに「八正道」を遂行中ってことだ!

元本の無明は制御状態に成っている。

つまり・・いい感じに有明だ!

是往吉處 為無上道 亦捨非道 離諸魔界

 

是れ吉處に往く 無上道と為す 

亦非道を捨し 諸の魔界を離る

 

これきっしょにゆく むじょうどうとなす

またひどうをしゃし もろもろのまかいをはなる

 

ブレることのない持戒清浄な修行者だったらば・・

当然のことだけど、そのまま進めば涅槃の境地向きだ!

五欲が発芽して危険極まりない場所からは、どんどん離れていく!

彼岸へと、涅槃へと、邪道に煩わされることなく進んで行ける!

誡愼品おわり

 超訳しすぎで手元資料からもだいぶ逸脱しています。

 笑読されて、なにかヒントが得られたら幸いです。

 

 

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