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            仏教志塾とは関係ありません。

      法 句 経(北伝)

     超訳です!

     お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり  

     お釈迦さまが消えたりしています。

     意訳からは程遠いものですので、ご注意ください。

                   

多聞品第3

 

多聞品者 亦勧聞学 積聞成聖 自致正覚

 

多聞品とは 亦聞学を勧む 積聞して聖を成じ 自ら正覚を致す

 

たもんほんとは 

またもんがくをすすむ 

しゃくもんしてしょうをじょうじ 

みずからしょうがくをいたす

 

多聞品を学ぶってことならば・・

お釈迦さまの教えをしっかり聞こう!

積聞=知識を貯めよう!⇒聞積(ききつもる)

この信念を忘れないように!

その結果は、間違えなく正しい覚りに到着できる!

 

 

 

 

多聞能持固 奉法為垣墻 精進難踰毀 従是戒慧成

 

多聞を能く持すること固く 法を奉じて垣墻と為す 

精進は踰え毀り難し 是に従り戒慧成ず

 

たもんをよくじすることかたく 

ほうをほうじて えんしょうとなす

しょうじんはこえやぶりがたし 

これによりかいえじょうず

 

兎に角、たくさん学んで、知識豊富な修行者になることを忘れないこと!

そして、その教えを正しく保ち努力精進すること。

実は、その修行態度がバリアと成って貴方を災難(邪法や五欲)から守ってくれるのだ。

・・だから、余計な心配は無用だ!

どんどん先を目指して修行が出来るんだ!

 

 

 

 

 

多聞令志明 已明智慧増 智則博解義 見義行法安

 

多聞は志を明らかに令め 已に明らかなれば智慧増す

智則ち博ければ義を解り 義を見れば行法安し

 

たもんは こころざしをあきらかならしめ

すでにあきらかなれば ちえます

ち すなはちひろければ ぎをさとり

ぎをみれば ぎょうぼうやすし

 

たくさん学ぶと、知識豊富になるよね。

そうなると、目指しているゴールが鮮明になってくるよ。

更に善いことに、お釈迦さまが伝えようとしている義の深部までを知ることが可能なんだ。

義が判れば、行うべき勉強方法や修行方法を会得している状態だから、もう煩わしいことが発生する心配は不要だ!

ゴールへ向かって進もう!

 

 

 

 

多聞能除憂 能以定為歓 善説甘露法 自致得泥洹

 

多聞は能く憂除き 能く定を以て歓びと為す 

善く甘露の法を説き 自ら泥洹を得ることを致す

 

たもんはよくうれへをのぞき 

よくぢょうをもってよろこびとなす

よくかんろのほうをとき 

みずから ないをん をうることをいたす

 

たくさん学ぶと、知識豊富になって、

五欲苦しむことから解放されていて

寂静の心を維持している状態だから

甘露の法を理解して伝えることが出来るんだよね。

それって、もう泥洹(涅槃)を覚っているってことだ。

お釈迦さま(如来)はすごいな!

 

○定⇒禅定=寂静の心を維持

○甘露(かんろ)=仏さまの教え

 ⇒涅槃(仏教の不死=死ぬ必要が無い)を得る。

 

元を辿ればインドの神話やヒンドゥー教・・

阿修羅族が製造する“阿密哩多 amṛta アムリタ液”であり

『不死(死なない)を得る特製ドリンク』のこと。

この甘露液を飲むと、斬首されて体を失っても・・

頭部だけで生きつづけちゃう!

 

○泥洹(ないおん)nirvāṇa ニルバーナ涅槃

 

 

 

 

 

 

聞為知法律 解疑亦見正 従聞捨非法 行到不死虚

 

聞は為に法律を知り 疑を解り亦正を見る 

聞に従りて非法を捨てば 行いて不死虚に到るなり

 

もんはためにほうりつをしり

うたがいをさとり またしょうをみる

もんによりて ひほうをすてば

ゆいて ふししょに いたるなり

 

たくさん学ぶことで、経典の内容や教えの奥深さを知る。

オヤッ?と思う事をどんどん解いて正しく知る。

何でも知っていればさ、邪法に惑わされることは無いよね。

正しく仏道修行に励めば、涅槃の境地へ到着できる。

 

 

 

 

為能師現道 解疑令学明 亦興清浄本 能奉持法藏

 

能師と為りては道を現じ 疑を解り学を明かならしむ

亦清浄の本を興し 能く法藏を奉持す

 

のうしとなりては みちをげんじ

うたがいをさとり がくをあきらかならしむ

またしょうじょうのもとをおこして

よくほうぞうをぶじす

貴方は悟りの世界から私たちの世界に還って来てくれた。

それだけでなく、私たちに進むべき道を教え示してくれた。

私たちが持つ疑念を解き、覚び得るべきものを示してくれる!

 

そして・・

私たちは、梵行(煩悩や性欲・穢れを絶つ)実行の決意を明らかし気を緩めることなく、貴方の説かれた智慧を善く保つ進むのだ!

 

 

能攝為解義 解則義不穿 受法猗法者 従是疾得安

 

能く攝すれば為に義を解り 解れば則ち義を穿たず

法を受け法に猗る者は 是に従り疾く安きを得

 

よくせっすれば ためにぎをさとり

さとればすなわち ぎをうがたず

ほうをうけ ほうによるものは

これにより とくやすきをう

 

 

お釈迦さまの教えを能く理解すれば、

仏道修行に迷うことがないんだ。

そして・・

しっかりと理解するから奇妙な見方をすることも無いんだ。

多聞となる者は

正しく法を学んでいて、その法を大切に保っているんだよ!

やっぱり、如来使に成ろうとすることはに価値が有るよね!

多聞・義に従う・如来の言葉を理解することのメリットは・・

なんら心配することなく仏となる道を得ちゃうってことだ。

 

 

若多少有聞 自大以憍人 是如盲執燭 炤彼不自明

 

若し多少とも聞くこと有りて 自ら大として以て人に憍らば 

是れ盲の燭を執るが如し 彼を炤すも自らは明かならず

 

もしたしょうともきくことありて 

みずからだいとしてもってひとにおごらば

これもうのともしびをとるがごとし 

かれをてらすも みずからはあきらかならず

 

君(出家者)は、少しばかりの知識を得ただけなのに、

俺は覚った!賢者だ!如来使だ!

とうぬぼれるのならば、それは愚かなことだ。

君は向かうべき道を見失っている。

今までに得たその知識(燭=法明)が、

誰の役にも立たないとは言わないけれど・・

今の君は・・

自分が法明(正しい教え)に照らされているのかどうか?

判らないだろうな。

 

夫求爵位財 尊貴升天福 辯慧世間悍 斯聞為第一

 

夫れ爵位財を求め 尊貴天福に升るも 

辯慧世間の悍なるも 斯の聞を第一と為す

 

それしゃくいざいをもとめ そんき てんぷくにのぼるも

べんゑせけんのかんなるも ごのもんをだいいちとなす

 

貴族階級とか、金持ちとか、偉い人に成る・・とか考えると、

世間では辯慧(仏の智慧を理解し語れるほどの多聞さ)

邪魔になってしまうのだろうな!

ってことは、

出家者には辯慧”使い方を弁えた智慧”が大事なわけで・・

それは民や衆の「知恵」じゃないわけで・・

やっぱ・・如来の教え「智慧」が第一だ!

帝王聘禮聞 天上天亦然 聞為第一藏 最富旅力強

 

帝王の聘禮するも聞なり 天上天も亦然なり

聞を第一藏と為す 最も富み旅力強し

 

ていおうの びょうらいするも もんなり

てんじょうてんも またしかなり

もんを だいいちぞうとなす

もっとも とみ りょりきつよし

 

如来は、多聞で何でも知っている

王様からも恭礼される。

それだけではなく、

お釈迦さまの教えが届く全ての世界から敬われるのだ。

多聞で何でも知っていることは、重要な才能であり、

その才能を持つ者達の処(僧院)には、

お供え物がいっぱいくるよ。

教えを広める力も半端ないね!

 

智者為聞屈 好道者亦楽 王者盡心事 雖釈梵亦然

 

智者は聞の為に屈し 道を好む者も亦楽しむ 

王者は心を盡して事へ 釈梵と雖も亦然なり

 

ちしゃはもんのためにくっし 

どうをこのむものもまたたのしむ

おうじゃはこころをつくしてつかへ 

しゃくぼんといえどもまたしかなり

 

賢者は、仏道修行を極めた方、つまり如来には、礼儀を尽くすよ。

 

王様も同じく礼儀を尽くすよ。

例えばさ・・

ビンビサーラ王は、お釈迦さまの説法を聴いて感激してた!

しっかり敬意を払っていたよね!

神々も同じだよ!

梵天や帝釈や、外道の神さまも、多聞博学な如来に対して敬意を払ってるよ。

例えば・・

梵天が、お釈迦さま尊び「お願い~法を説いてほしい~」って願い出ていたよね!

外道⇒仏教以外の宗教・別の習慣を持つ地域とか・・

仙人常敬聞 況貴巨富人 是以慧為貴 可禮無過是

 

仙人は常に聞を敬ふ 況や貴巨富人をや

是を以て慧を貴しと為す 禮すべきこと是に過ぎたるは無し

 

せんにんはつねにもんをうやまう

いわんや きこふにんをや

これをもってゑをたっとしとなす

らいすべきこと これにすぎたるはなし

 

如来は多聞でなんでも能く知っているから・・

仏教以外の教祖とか呪術師達や、位の高い良家の皆さん、お金持ちの人達から崇められる。

如来と称される多聞なお方の、習得した豊富な知識は尊敬に値し、

それって・・途轍もなく凄いことなのだ!

例えば・・初期

沙門ゴーダマの出家後の最初の師匠は

アーラーダ・カーラーマ

彼の説こうとする真理「無所有処」をすぐ覚ってしまい・・

沙門ゴーダマに敬意を払い・・2人で教団を維持しよう!

 

ダメダコリャ~で二番目の師匠は

ウドラカ・ラーマプトラ

彼の説こうとする真理「非想非非想処」をすぐ覚ってしまい・・

沙門ゴーダマに敬意を払い・・貴方に教団を差し上げる!

 

ダメダコリャ~で苦行へ進む

事日為明故 事父為恩故 事君以力故 聞故事道人

 

日に事ふるは明の為の故なり

父に事ふるは恩の為の故なり

君に事ふるは力を以ての故なり

聞の故に道人に事ふるなり

 

ひにつかふ(ウ)るは みょうのためなるゆえなり

ちちにつかふるは おんのためのゆえなり

きみにつかふるは ちからをもってのゆえなり

もんのゆえにどうにんに つかふるなり

 

お天道様に感謝する理由?

お天道様は世間を明るく照らしてくれるからさ・・

父ちゃんへ孝養を尽くす理由?

父ちゃんはオイラを育ててくれたからだ。

如来に礼儀を尽くして使える理由?

オイラに貴方の代人(如来使)と成る為の

方法を示してくれるからさ・・

オイラは修行者だから・・

成仏した貴方を最高の師匠としちゃうんだ

人為命事醫 欲勝依豪強 法在智慧處 福行世世明

 

人は命の為に醫に事へ

勝たむと欲して豪強に依る

法は智慧の處に在り

福を行へば世世明かなり

 

ひとはみょうのためにいにつかえ

かたむとほっしてごうごうによる

ほうはちえのところにあり

ふくをおこなえばよよあきらかなり

 

オイラたちは、健康を損なうと医者に行って薬をもらう。

っで・・オイラたちは病気だ!

だから涅槃を得るために、強力な健康維持薬という法を得る目的がある。

そんな訳で・・

如来(=医院長)が師だから、如来使の見習いとして研修中なのだ。

 

それでだが・・

医院長の智慧の中に健康維持薬という法がある。

だから・・

医院長と通じあっていれば、どの時代にいても健康維持薬という法に照らされているのと同じだ。

だもんで・・・

如来使が発生する連鎖が続く限り医院長がいるのだから、健康を損なう心配は無いのだ!

※如来(醫院長)の寿命は永遠だ!の元ネタっぽい

 

察友在為謀 別伴在急時 観妻在房楽 欲知智在説

 

友を察するは謀を為すに在り 伴に別るるは急時に在り

妻を観るはの楽みに在り 智を知らんと欲せば説に在り

 

※ここでの房は、閨房(寝室)だね。

ともをさっすれば はかりごとをなすにあり

ともにわかるゝは きゅうじにあり

つまをみるは ぼうのたのしみにあり

ちをしらんとほっせば せつにあり

 

修行者(如来使)の協力者である仏教徒感覚にすると・・

 

考えてみよう(1)

方法や手立てを考えている時の友人を見れば・・

思慮深い奴か?大雑把な奴か?を知ることができる。

これは、凡人の知恵で分かる!

考えてみよう(2)

伴と別れてしまう事態が発生するのは突然だよな!

これも、同じく凡人でも分かる!

考えてみよう(3)

妻を好く観察する(大切に思える)のは・・

ソリャ~なんたって寝室での時間だよね!

これは、だれでも分かる!

それでだ

凡人の知恵じゃなくて・・

尊い智慧について知ろうと願うならば・・

これは、さすがに凡人は知恵では無理だ!

でも心配すること無いよ!

お釈迦さまが解説しているよ!

『妻を観るは房の楽みに在り』という表現

・・王国を維持する為のお約束に入っている・・

夫婦は仲良くなれることを徹底的に追及せよ!

子供を産もう!(男児がいいなぁ)

家族を養え!家業の安定継続!

などの約束がある。

っで出家者は・・

これらを含めた社会的生産活動を放棄する事が

出家の約束(必須条件)だった。

聞為今世利 妻子昆弟友 亦致後世福 積聞成聖智

 

聞は今世の利為り 妻子昆弟友 

亦後世の福を致し 聞を積み聖智を成ず

 

昆弟=兄弟

 

もんはこんせのりなり さいしこんだい(コンテイ)う

またごせのふくをいたし もんをつみしょうちをじょうず

 

これも仏教徒目線で・・

貴方が在家の仏教徒(優婆塞・優婆夷)となって、

お釈迦さまの智慧を授かろうと努力するのならば、

そのご利益は・・

現世の貴方だけが受けて終わってしまうものじゃない!

奥様!子供!兄弟の一族や友人にも利益は巡るのだ。

末代までも幸福だ!

お釈迦さまの教えを心に留めよう!功徳を積もう!

幸福に生きる為の『聖者の智慧』をタップリ貯めよう!

 

 

是能散憂恚 亦除不祥衰 欲得安隠吉 當事多聞者

 

是れ能く憂恚を散じ 亦不祥の衰を除く

安隠の吉を得むと欲すれば 當に多聞者に事ふべし

 

これよくういをさんじ またふしょうのすいをのぞく

あんのんのきちをえむとほっすれば

まさにたもんしゃにつかうべし

 

如来は、救われようとする者に法を説いているよね。

 

それを学んだ者たちは『苦』を制御することが出来る。

だから、悲しみ・怒り・憤りなんかは制御可能なのだ。

それを学んだ者たちは『苦』の発生を除くことが出来る。

だから、不幸になってしまう原因とか不運の要因なんかは

除去できるのだ。

 

それって、もう如来の使者になっていてさ・・

法に護られ日々穏やかで福に満ちているんだよね。

だから、オイラもしっかり如来に学んで・・

如来の使者になれるよう努めるんだ!

 

斫創無過憂 射箭無過患 是壯莫能抜 唯従多聞除

 

斫創は憂に過ぐるは無く 射箭は患に過ぐるは無し

是れ壯も能く抜くこと莫く 唯多聞に従りて除く

 

しゃくそうはうれへにすぐるはなく

しゃぜんはうれへにすぐるはなし

これそうもよくぬくことなく

ただたもんによりてのぞく

 

弓矢や刀で出来た体の怪我は、

その矢を抜いて、消毒して

縫い合わせたりして大変だけど

もっとしんどいのは心の怪我だ!

抜く矢もないし!外傷が無いのだ!

治療しようにも・・

縫い合わせる事が出来ないので、けっこう苦しいよ。

 

これを治せる医者は如来とか如来使だよ。

 

法に目覚めれば、こころの怪我(迷いの世界)から

抜け出られるから、仏道へ~ホラ!!

盲従是得眼 闇者従得燭 亦導世間人 如目将無目

 

盲は是に従って眼を得 闇きは従って燭を得

亦世間の人を導くこと 目あるが目無きを将いるが如し

 

もうはこれにしたがって げんをえ

くらきはしたがって そくをう

またせけんのひとを みちびくこと

めあるが めなきを ひきいるがごとし

 

如来使目線だがね・・

仏法を知らずに迷いの世界にいたけど、

多聞に成るにしたがって智慧の目が開いた。

仏法の明かりが燈されたのだ。

如来の使いと成ったのだから・・

暗い迷いの中にいる人たちに手を差し伸べ

智慧の世界へと導いていこう。

是故可捨癖 離慢豪富楽 務学事聞者 是名積聚德

 

是故に癖を捨つべし 慢と豪と富と楽を離れ 

学に務め聞に事ふる者は 是を德を積聚むと名づく

 

このゆえにちをすつべし まんとごうとふとらくをはなれ

がくをつとめもんにつかうるものは これとくをつむとなづく

 

お釈迦さまの説かれた教えとか規則とかイッパイ学んで理解して、悩み迷いは捨て去った!

五欲からも離れたぞ!

オイラもこの努力をやり遂げたメンバーだ!

徳(多聞の努力・丁寧に集めて集合体)を得ることが出来たのだ!

積聚=skhanda スカンダの訳語(ヒンドゥー教の韋駄天でもある)

⇒積み集めて集合したもの。

っで聚積と積聚は同じ!

 

このほか仏教では、

五蘊盛苦の『五蘊』のことをpañca-skandha (パンチャ・スカンダ)と言うよ。⇒蘊・蘊・蘊・蘊・蘊の総称だね。

 

無駄話でフルーツ・ポンチは果実5種の集合体だよ!

 

☆多聞品おわり

 超訳しすぎで手元資料からもだいぶ逸脱しています。

 笑読されて、なにかヒントが得られたら幸いです。

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